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大和し美し
川端と安田は、いにしえの美との邂逅により、日本文化の特異性とその精神性により一層深く共感し、また、それを未来へつなげる使命を自覚します。

二人が共に感じ、残したかった日本。それこそが「大和し美し」、美しい日本であったのでしょう。
「私は戦ひがいよいよみじめになつたころ、月夜の松影によく古い日本を感じたものであった。私は戦争をいきどほるより悲しかった。日本があはれでたまらなかった。空襲のための見廻りの私は夜寒の道に立ちどまって、自分のかなしみと日本のかなしみとのとけあうのを感じた。古い日本が私を流れて通つた。
 私は生きなければならないと涙が出た。自分が死ねばほろびる美があるように思つた。私の命は自分一人のものではない。日本の美の伝統のために生きようと考えた。」
                      川端康成
飛鳥の春の額田王
飛鳥の春の額田王
1964年 安田靫彦画
滋賀県立近代美術館蔵
法隆寺壁画六号壁観音像・模写
法隆寺壁画六号壁観音像・模写
1907年頃 安田靫彦画
川崎市市民ミュージアム蔵
「私の眼が堂内の暗さに馴れてきた時に、浮かび出たのは、あの十二面の大壁画である。荘厳な構図、見事な立体的な仏体の描写が夢の如く浮かんだ。神韻漂渺とはまさにこれである。一番立派で一番確かでそして一番清新な仏画。日本仏画に無いもの、支那でも印度でもない。西域かそして遠く西欧の匂いもあるが、この高い気品はやはり日本のものかなどと考えていた。」
                      安田靫彦 「岡倉天心先生の言葉に「美術史を研究するのは、ただに過去を記述するのに止まらない。すべからく未来の美術を作る素地をなさなくてはならない。過去と将来との中間となってこれを結合する任務の、吾人の責任は重大だ」と云われております。私達もなおさら作家としてすぐれた古美術について、これを充分理解するに足る直観力を養わなければならないのです。」



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