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日本人初のノーベル文学賞を受賞した川端康成は、その受賞記念講演『美しい日本の私』の中で良寛和尚の辞世の歌にふれ、日本人が古来からもっている自然に対する美しい心情について述べています。また、日本画家・安田靫彦は、良寛和尚の人格をその書に観じ、生涯良寛敬慕の念をもち続けました。
![]() 川端と安田の二人が、良寛和尚の書をはじめ、いにしえの芸術に触れる事で共に感じ憧れた、日本人のこころの奥底に流れる清らかな精神性は、二人の接点でありました。 ![]() 本展で、国宝の十便十宜帖、凍雲節雪図の他、重文の孔子像や汝官窯青磁盤、俵屋宗達や尾形光琳の絵画など、川端旧蔵品約85点、安田旧蔵品約35点の2大コレクションと約20点の良寛遺墨、計250点を越える作品を通観し、その精神性に共感して頂ければ幸いです。 ![]() ※出陳作品は、作品保護のため、展示替を行ないます。あらかじめご了承下さいませ。 ![]() |
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川端康成『美しい日本の私─その序説』抜粋 |
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別の古人の似た歌の一つ、僧良寛(1758年〜1831年)の辞世、 形見とて何か残さん春は花 山ほととぎす秋はもみぢ葉 これも道元の歌と同じやうに、ありきたりの事柄とありふれた言葉を、ためらひもなく、と言ふよりも、ことさらもとめて、連ねて重ねるうちに、日本の真髄を伝へたのであります。まして、良寛の歌は辞世です。 霞立つ永き春日を子供らと 手毬つきつつこの日暮らしつ 風は清し月はさやけしいざ共に 踊り明かさむ老いの名残りに 世の中にまじらぬとにはあらねども ひとり遊びぞ我はまされる |
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これらの歌のやうな心と暮らし、草の庵に住み、粗衣をまとひ、野道をさまよひ歩いては、子供と遊び、信教と文学との深さを、むづかしい話にはしないで、「和顔愛語(わがんあいご)」の無垢な言行とし、しかも、詩歌と書風と共に、江戸後期、十八世紀の終りから十九世紀の始め、日本の近世の俗習超脱、古代の高雅に通達して、現代の日本でもその書と詩歌をはなはだ貴ばれてゐる良寛、その人の辞世が、自分は形見に残すものはなにも持たぬし、なにも残せるとは思はぬが、自分の死後も自然はなほ美しい、これがただ自分のこの世に残す形見になつてくれるだらう、といふ歌であつたのです。日本古来の真情がこもつてゐるとともに、良寛の宗教の心も聞える歌です。 |