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江戸時代の中期にあたる18世紀、絵画は史上まれに見る興隆の時期を迎えました。享保年間における、将軍吉宗の洋書解禁や、明・清の新しい絵画様式の移入などに触発され、かつて藤岡作太郎(1870−1910)が「旧風革新」と評したような創造の機運が、新興町人階級出身の画家の間で盛り上がりました。京都では、享保元年(1716)尾形光琳が亡くなります。奇しくもこの年は伊藤若冲の生年に当たり、町人出身画家の新旧交代を象徴するかのようです。 ![]() 当時、知識層の指導のもとに「写生」の絵が流行しました。円山応挙(1733−1795)がそれを代表する画家です。伊藤若冲(1716−1800)もまた、写生を学び、花や鳥、動物を熱心に写生しました。しかしながら若冲が実際に描く絵は、細部まで克明に描写されながら、全体としては現実と異なる不思議な世界 ─ワンダーランドといっていいでしょう。 |
細密な描写の一方で、若冲は略筆の水墨画を描きました。そこでは自己の主観にもとづく、奔放な感興の吐出がみられます。まるで児童の絵のような天真爛漫さ、これもまた、若冲の世界の産物で、現代人の感性、美意識にも響きあい、近年大きな注目を集めるようになりました。 ![]() この展覧会は、最近新たに発見され初公開となる「象鯨図屏風」(六曲一双)を中心に、若冲のコレクターとして世界的に知られるジョウ・D・プライス夫妻のコレクションなど、国内外の若冲の作品から、ワンダーランドの呼び名にふさわしい傑作を選りすぐって展示します。 ![]() 同時に、池大雅(1723−1776)、与謝蕪村(1716−1783)、曽我蕭白(1730−1781)、長沢芦雪(1754−1799)ら、京の画家にも範囲を広げ、若冲と同時代の、個性的でかつスケールの大きな「ワンダーランドの共住者たち」にも照明を当てます。 |
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象鯨図屏風(部分) |