九本
明治三〇年−昭和一〇年
高一四・五−二四・一 幅三・七−六・七
東京・ボトルシヰアター蔵

わが国で初めて「ラムネ」が作られたのは、慶応元年(一八六五)に長崎の商人・藤瀬半兵衛によるとするものと、明治元年(一八六八)にイギリスの薬種商・J・ノースとW・レイによるとするものの二説がある。また、国内で最初に「ラムネ」を売り出したのが、明治十四年にラムネ屋「洋水社」を起こした鈴木音松であったという記録も残されている。

玉ラムネびん
明治初期にはおもに舶来のものが使い回されていた。現在のビー玉を栓にした国産の「玉びん」が出回るようになるのは、明治二十年代に入ってからのことである。本来このびんは、一八七二年にイギリス人ハイラム・コッドによって発明されたことから「コッズ・ボトル」と呼ばれた。国産第一号びんは、明治二十五年に大阪の徳永硝子会社創始者・徳永玉吉によって作られたといわれている。

底玉式ラムネびん
このラムネびんは、トンボ飲料(株)創業者・翠田辰次郎によって昭和初期に開発されたもの。トンボ飲料は、明治二十九年に翠生舎として創業。この種のラムネびんは、リターナブルの空びんを洗浄する際、従来の「玉びん」では洗いにくく不衛生であるということから開発されたといわれている。(写真左から三番目)

徳永硝子のラムネびん
このラムネびんの底に記されたマークは、徳永硝子会社のもの。この会社は、明治十三年に徳永玉吉によって創業され、明治二十五年に国産第一号のラムネびんを製造した。また、びん底の一九二三年という年号は、関東大震災のあった年でもあり、その前年に同社はアメリカから本格的な最新式製びん機械を導入している。(写真右から四番目)

子供ラムネびん
イギリスからわが国に初めてラムネが到来した頃のびんは、一〇オンス、一二オンスの大形のものであった。それが徐々にわが国にふさわしいサイズへと変貌していったと思われる。おもに子供相手の駄菓子屋では、子供サイズの「子供ラムネ」というものが登場した。これもわが国特有の小形ラムネびんといえよう。(写真右端の二本)

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ラムネびん