江戸時代 18世紀 天明5年(1785)
絹本著色
縦:86.2cm 横:133.2cm
円山応挙(1733〜95)は,丹波国穴太村の農家に生まれた。京に出て石田幽汀から狩野派を学びつつ,中国画の写生技法を研究して自己の画風を確立していった。
応挙の写生技法を最もよく観察することができるのは,山水画よりむしろ花鳥画と言えるかもしれない。そのなかでも孔雀は,応挙の得意とした題材だったと言えるだろう。滋賀・円満院旧蔵で今は萬野美術館にある「牡丹孔雀図」(重要文化財)がその代表的作例と考えられるが,孔雀の姿態の写実的でしかも華麗な表現には舌を巻く。応挙の孔雀図の声名は都中に響いたとみえて,内裏からの注文もあったらしい。本図もそうした声名の高さのしからしめるところだったとおぼしく,京以外の土地の者の注文によって描かれたのであろう。それは署名に「平安」とわざわざ書き添えていることからの推定である。 (狩野)
関連美術品
孔雀図(円山応挙筆)