鎌倉時代後期 14世紀
紙本墨書
縦:74.1cm 横:57.8cm

東福寺十五世の虎関師錬(1278〜1346)が,後に同寺三十四世となる瑞巌曇現に与えた道号ならびに号頌である。当時は道号,号頌をそれぞれ別紙に認めて授与するのが一般的な風潮であって,所掲の瑞巌号のごとく,一紙の上下に道号・号頌を分けて認める形式は,室町時代以降顕著となるものである。本書は同一紙に道号・号頌を認めた最も早い時期のものとして貴重であろう。

号頌に移ろう。
「雲かと思えば雲にもあらず,霧かと思えば霧にもあらず,晴れた日に蒸発する山気が一面に立ちこめている。その晴嵐の気に包まれた山中の大巌石には,つたかずらがまつわり,すっかり蘚苔におおわれている。
釈尊十大弟子の一人で解空第一と称された須菩提(空生)が,巌上で結跏趺坐してより後,周囲一帯に散花された花びらは,すべて優曇華ならざるはなかった。優曇華は3000年に一度花開く珍しい植物で,その花が咲くときは金輪明王が出現すると言われている。」

虎関は瑞巌趺坐の周囲にも,優曇華の花開かんことを念じて号頌としたようである。前半二句で瑞巌の意が,後半二句で曇現の意が詠じられている。この瑞巌号頌は,虎関の詩偈集『済北集』の第五巻に収録されている。
虎関も瑞巌もともに東福寺開山円爾の法孫にあたるが,法系を示すと次のようになる。

     ―東山湛照―虎関師錬(三聖門派)
東福円爾―
     ―山叟恵雲―瑞巌曇現(正覚門派)

虎関は学芸を渡来僧一山一寧に受け,わが国最初の紀伝体の僧史『元亨釈書』三十巻をはじめ,同じくわが国最初の韻書『聚分韻略』五巻や,『虎関和尚十禅支録』三巻,『仏語心論』十八巻など多くの書物を著した学僧として知られ,書は黄山谷を習っている。東福寺塔頭海蔵院に居して海蔵和尚と呼ばれ,南禅寺にも昇任して十五世となった。興国3年(1342)南朝の後村上天皇から,本覚国師号を特賜されている。 (加藤)

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