平安時代後期 11世紀
木造漆箔
幅(右肩-左足):25.0cm

仏師定朝によって作り出された飛天光背は,奈良時代の光背にならって,周縁部に飛天を配することからこう名づけられた。定朝作の平等院鳳凰堂阿弥陀如来像(1053)付属の光背でいえば,頂に大日如来像を置き,左右に六体ずつの菩薩が配される。菩薩はすべて奏楽ないし供養の姿勢をとり,雲上に坐している。それ以降のいわゆる定朝様の飛天光の菩薩たちも,数が減ったり,立像が加わるなどのことはあっても,乗雲という形は一貫して伝えられる。

しかるに本像は,まわりにあったはずの雲がなくなってはいるものの,雲の上に坐るのではなく,明らかに飛行のポーズである。定朝が手本とした奈良時代以前の光背では,このように飛行の姿の菩薩が一般的だったことを考えると,この像は飛天光背の最も古い形式を伝えているとも推定される。大振りの目鼻立ちや大柄の体躯などは極めて古様であり,11世紀にさかのぼる作とみられることから,飛天光背の成立に手がかりを与える一作ではある。

貼り付けられている背後の板は建築用材の転用であり,本像とは関係がない。(伊東)

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