このいわゆるアフラ・マズダの表現については、有翼の環から半身を現している姿が一般的に知られていますが、本来はエジプトの隼形太陽神を象徴する有翼の太陽円盤が紀元前二千年紀前半に東地中海岸地域及びアナトリアに伝わり、おそらくそれが中空に浮かんでいた西アジアの日月の表現に変化を与えたと考えられます。
ついで前9−8世紀のアッシリアでは最高神アッシュールをその円盤の中にあてはめたと言う見方がありますが、一方でそれはしばしば太陽に喩えられる王の第二の自我を意味していたとも言われています。
ペルシャの場合は、一説にはアフラ・マズダの形姿をこの有翼円盤の中にあてはめたという見方がありますが、ヘロドトスによればペルシャ人はギリシャ人のようには人間の形姿を持った神を表現しなかったと言われ、事実ダレイオスの王墓にはアフラ・マズダへの祈りの言葉が書かれていてもこの神の図像は一切描かれていません。
むしろこの太陽円盤の由来を持つ形象は、本来隼の形態をとり太陽をも象徴するフワルナァ(王の神来の幸、恩恵)を表現していたと考えられています。
しかしながらゾロアスター教の前身であるイラン民族共通のマズダ教では、元来フワルナァはアフラ・マズダと並び敬うべきアフラに含まれていたものであり、フワルナァを崇敬する事とゾロアスター教の創造神アフラ・マズダを崇敬する事との間に明確な区別をつけることはむづかしかったとも言われます。
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