紀元前7世紀末から6世紀初頭にかけて、メソポタミアの最大の帝国アッシリアとその最大のライバル、ウラルトゥは、あいついで北西イランのメディアと南メソポタミアのバビロニアの同盟勢力のもとに降り、更にそのイラン系メディアは西アジア世界を初めて統一する大帝国となりました。
イラン系メディアは程なく東南イランの大きい同盟勢力であったイラン系ペルシャに取って替わられ、アケメネス朝ペルシャが立ちました。
紀元前8−7世紀のこの混沌とした時代を通じて、これらメディア、ペルシャなどのイラン民族は好戦的な神々を仰ぐ伝統的な宗教から、秩序と正義そして平和をもたらす世界の救世主をあおぐゾロアスター教に急速に転向して行きました。
彼らは世界を善悪の対立としてとらえ、最終的に善の勝利としての審判が到来するとする終末論から、現実の世界の変容を求めました。
それは絶対善の創造神アフラ・マズダーのもとに統一された世界、アフラ・マズダーから多くの者の中の唯一の王となされた王を頂く巨大帝国をつくりあげることであったと言えます。
Mary Boyce/ A History of Zoroastrianism/ Leiden I- 1996-172ff. , II- 1982- 105 ff.
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