紀元前3500年頃農業の生産力の向上を背景として、メソポタミアとエジプトで古代都市文明があいついで興ったと言われていますが、メソポタミアには鉱物資源が存在しないため古くからそれをイラン高地やその東に続く中央アジアに求めました。
特に中央アジア高地、アフガニスタン北部のバダフシャンやその東のヒンドゥクシュから産する純度の高い準貴石(ラピスラズリ、紅玉髄)は古代オリエント世界で多くの需要があり、遠くはエジプト、小アジアまでもたらされたのです。
またそれを中継して加工品を供給したのが東イラン・ケルマン地方であったと考えられています。この紀元前三千年紀に於て、このイラン高地の遊牧民族は特殊な存在であって、「職人遊牧民」とも呼ばれています。
・Pierre Amiet/ The Period of Irano-Mesopotamian Contacts/ in 'Early Mesopotamia and Iran: Contact and Conflict 3500-1600 BC' ed.J.Curtis London 1993
関連美術品
獅子文様壺