初期大乗仏教における仏教の世界観の発展
インドの大乗仏教はおおまかに初期、中期、後期に大別できますが、紀元前後から300年頃までの初期大乗仏教は仏教の信仰実践を中心として、釈迦の精神をもっとも良く発揮しているといわれており、「般若心経」などの般若系教典、「法華経」「維摩経」「無量壽経」「華厳経」などがこの期に属する教典として知られています。これらの教典に見られる仏教世界観の発展の様を通観してみましょう。
がんらい仏教では一世界には仏陀は一時に一人しか現われないとされていました。しかし、原始仏教の時代にも釈迦が悟りを開く以前、過去に六人の仏陀が現われ、人々を教化救済したとする考えがありました。また釈迦入滅後にも、未来の仏として弥勒仏が出現するとも考えられていました。部派仏教の時代になると、これが発展し過去・現在・未来の三世にわたって多くの仏陀が出現して法を説いているとする考えが生まれ、部派のひとつの大衆部の一派では、釈迦仏が法を説いたこの世界(娑婆世界)のほかに十方に種々の世界があって、それぞれの世界に同時に仏陀が現れて法を説くと考えるようになりました。
大乗仏教ではこの考えをさらに発展させ、三世十方の世界には無数の仏陀が出現すると説くようになりました。釈迦が法を説くこの世界は一仏世界であり、須弥山(しゅみせん)を中心として、この頂に三十三天、四周の麓に四天王のいる四王天がある。その東に勝身州(弗婆堤)、南に 部州(閻浮堤)、西に牛貨州(倶耶尼)、北に倶 州(くるしゅう)という人の住む大陸があり、周辺を鉄囲山(てっちせん)が囲んでいる。四州の地下には地獄があると考えられています。このような世界観は次第に拡大し、このような世界を小千世界として、これを千あわせたものを中千世界、そしてこの中千世界を千あわせた世界を三千大千世界と言うようになりました。
「梵網経」で説かれる蓮華胎蔵世界は、このような世界観を現わしたもので、三千大千世界の教主であるル舎那仏が坐る千葉の蓮華の一枚一枚に、さらに釈迦仏が坐る千葉の蓮華があり、この葉のそれぞれに一人一人の小釈迦が主宰する小千世界が存在すると考えられています。このような世界観は我が国にも伝えられ、奈良東大寺の大仏はこのような世界を現わしています
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