南北朝の美術

 3世紀に漢が滅んだ後、4世紀には北方の遊牧民族が華北に侵攻し、漢族の王朝を華南の地へ追いやって華北に次々に国を建てました。これを五胡十六国時代とよんでいます。北魏はこのめまぐるしい王朝の交代劇を収め、華北を統一しますが、一方、南に追いやられた漢民族は東晋王朝を建て、ここに南北朝時代が成立します。

 この時代の華北では、西方から交易を求めて人々がさかんに来朝し、西の文物が流入するとともに、雲岡石窟をはじめとする大石窟が西の彫刻様式を反映した仏像が石窟に刻まれました。
 一方、江南では貴族をを中心として清談の風が高まり、漢民族の伝統的な文化を継承した洗練された芸術が生まれました。絵画の顧 之、書の王義之、詩の分野では陶淵明が活躍したのもこの時代です。しかし、江南の漢族王朝は政治的には脆弱で、以後、宋、斉、梁、陳という4つの王朝が次々と交代しました。

 仏典の漢訳もすすんで、仏教の理解が飛躍的に深まるとともに、次第に中国人の感性に即した仏像様式が成立してゆきました。
 
 この時代は後漢の滅亡後、華南に興亡した6王朝にちなんで、六朝時代とも呼ばれています。


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